遺言書を作成する判断基準

遺言書を今すぐ作成するべきなのか?

 一般の方が遺言書を今すぐ作成するべきなのかどうかを的確に判断されるのはなかなかに難しいことです。作成した方が良いと誰にでも明らかに分かる場合だけでなく、一見分かりにくいが実は作成した方が良い場合も数多く存在するからです。専門家であればとある事情を聞いた瞬間に「あっ、これは遺言書が無いと大変なことになる」とか「あった方が遺族が随分助かる」と判断できるので、一般の方にも少しでもそのように判断できる助けとなるように説明させていただきます。

 遺言書を作成すべき、または作成した方が良いと判断する基準は、私見ですが、

 ・法定相続人が全員で遺産分割協議を合意できない可能性がある

 ・遺言者が遺言によってのみなしうる行為をしたい

の2つの条件どちらか一方にだけでも該当することです。以下、2つの条件について順に説明します。

遺産分割協議の合意を妨げる事情

 1つ目の条件である、「法定相続人が全員で遺産分割協議を合意できない可能性がある」とは、どんな事情があると起こりやすいのか具体例を挙げます。もちろん、全ての事情を網羅して列挙することは不可能ですので、以下の具体例を参考にご自身のことをよく検討してみることが必要です。

□ 相続人同士がもめることが明らかである

 相続開始前から相続人同士の仲が悪い場合、遺産分割協議の時だけ平穏に済ませられることはほとんどありません。逆に、遺産分割協議の時にこれまでで最も酷い争いになることの方が多いです。

 また、相続人同士は仲が良くても、その配偶者や親類が横やりを入れてきて、大人しい相続人が言いなりになってしまうこともよくあります。分別の足りない我欲の強い性情であることが明らかな関係者はいませんか?

□ 相続人の数が多い

 過去に何かの催しや集まりの幹事を経験されたことがおありでしょうか?遺産分割協議をする時、相続人は全員出席するものです。人数が多いと皆の都合を合わせてただ集まるだけでも大変です。土曜日曜祝祭日が休みで無い業種の方も多いですし、有給休暇が事実上取れない会社勤めの方も世の中たくさんいらっしゃいます。また、特定の時期に1〜2カ月全く休みが取れないほど忙しい業種もあります。

 そして、人数が多いと何か話をまとめることが困難になることは誰しも容易に想像が付きますよね。

□ 遺産分割協議に参加するのが一苦労または困難である

 単に相続人の誰かが遺産分割協で集まる場所から遠方に住んでいるというだけでも、その人は遺産分割協議に参加するのが大変です。大抵は法事で皆が集まる時に遺産分割の話もまとめてしてしまうことが多いでしょうが、遺産分割協議のためだけに移動しなければならないこともあります。回数が多くなると交通費もかさみまし、内心かさんだ交通費分は遺産の分け前に上乗せして欲しいくらいだと考えても無理なからぬところです。また、遺産分割協議がもめて弁護士に委任することになった場合、普通は自分の住まいの近くの弁護士に委任しますから、元々時間単価の高い弁護士の出張代が一般人にとってびっくりするような高額になりがちです。

 相続人が国外に在住している場合もありますし、国際結婚などで外国で生まれたのなら日本国籍で無い場合もあります。これらの場合は移動が大変なだけではなく、その国での公的書類を取得制度も様々で大変です。

 相続人が健康を損ねて自宅から動けないとか、入院しているなどの場合もここに含まれます。

 長寿社会で相続人が認知症になっていることもありえます。その場合、成年後見人制度の利用が必要で、後見人が認知症になった相続人に代わり遺産分割協議に参加します。後見人自身も法定相続人で利益相反関係になってしまうことが多いので注意しなければなりません。利益相反関係にある場合は特別代理人を申請することになり、さらに時間を要します。遺言書で受け取るべき遺産が定まっているとこれらの手続きを省略できることがあります。

□ 法定相続人が遺産分割協議に参加できない

 法定相続人が行方不明、音信不通の場合、失踪宣告を受けるか不在者財産管理人の選任を受けることになります。ただでさえ時間制約の厳しい相続手続きの前にどちらも時間を要しますし費用、手間もかかります。その後に遺産分割協議をすることになるので、遺言書を作成しておいて遺族の負担を減らしてあげたいものです。特に、後者は不在者財産管理人が遺産分割に参加するわけですからなおさらです。

□ 法定相続人の間で普段交流が無い

 昨今は法定相続人同士になるような間柄の親族であっても子供の頃に会ったきりでそれから10年間、20年間会ったことが無いとか、下手すると生涯一度も会ったことが無いというようなことまでが慶弔事に出席していないと起こりがちです。ほとんど他人も同然の人間関係の希薄な、または全く無い者同士で何か物事を決めるのは大変です。

 遺言者に離婚歴があり、前の配偶者との間に子がいる場合、その子は法定相続人ですから相続全体について慎重に検討しなければならないでしょう。遺言者ではなく前の配偶者がその子の親権者、監護者である場合、前の配偶者の子と後の再婚相手や再婚相手との子は交流が無い場合がかなり多いです。なお、離婚した後に未成年の子に相続させても、親権者である離婚した前の配偶者に相続財産を管理させないことが遺言で可能です。

□ 相続人に経済的に困窮している者がいる

 個々の経済事情の変化で金銭に対する欲求度合いが増していることがあります。住宅ローンの返済、子の塾代や学費・生活費の仕送り、リストラや再就職で収入の減少、不況でボーナスカット、投資の失敗など生活に余裕が無くなる要因は山ほどあります。何が何でも少しでも多く遺産を受け取りたいという相続人が多いほど遺産分割協議が難しくなります。

 親に迷惑をかけまいと子が窮状を内密にしているなど、表面上金銭的に苦しいことが分かりにくくて親が気が付いていないこともあるのです。

□ 相続人の一部が多額の生前贈与を受けている

 相続人の一部が事業をしているとか、家を建てたとかで親や祖父母から多額の生前贈与を受けている場合があります。法律用語では特別受益と呼ばれます。これは生前贈与を受けていない他の相続人からみれば不公平に感じてもやむをえない事柄です。特に、生前贈与分を相続財産に加えて計算し直した時に遺留分(法律上認められている最低限の相続分)すら下回っている時はなおさらです。

 相続人の中にいわゆる親不孝者がいると、親が尻拭いをして何度も資金援助をしていることもあります。放蕩息子(または娘)などという段階を超えて反社会勢力、いわゆるヤクザ者になってしまっていることもまれですがあるでしょう。親子の縁を切ったとか、絶縁して実家の敷居は跨がせないとかは法律上の効力がありませんので、法定相続人として遺産分割協議の場に登場することになります。彼らが相続財産は要らないと殊勝なことを言うことはあまり無く、もらえるものは全部、いやそれ以上にもらおうとします。

□ 相続人の一部が相続財産の増加に貢献していたり、減少を防いでいた場合

 例えば、最低賃金未満の給与で家業の従業員として長年働いていたとか、故人が高齢になってからは代わって家業を実質的に切り盛りしていた場合、法律用語では寄与分が存在すると表現されます。寄与分のある相続人の相続分が増えることは現在法的に保証されているのですが、では寄与分の金額が具体的にいくらであるか計算することは難易度が高く争いの原因となってしまいがちです。

 また、故人に対する療養看護において貢献した場合も該当するのですが、(一般常識に照らして理不尽であっても)その療養看護が通常の扶養義務範囲内のものは計算されないとされており、範囲を超えていたか否か、超えたのならいくら超えていたのかを判定するという難しい問題が存在しています。ただ、この理不尽を救済し、故人を療養看護しなかった相続人との公平を期するために、審判では寄与分という概念を少し拡大して適用する実際の運用がいくつもみられます。

□ 相続人の世代が違う

 法定相続人が亡くなっている場合、亡くなった法定相続人に子がいればその子が法定相続人になります。これを代襲相続といいます。叔父・叔母が甥・姪とお金の話をするのはなかなか難しいことです。身の回りでやや家督相続的な相続もある程度見てきた社会経験の豊富な世代と、平等教育で育って権利意識の肥大しがちなまだ社会経験の少ない世代とでは考え方が大きく異なり、話し合いをまとめる難易度は高いです。

□ 法定相続人が未成年

 遅くにできた子であったり、遺言者より先に子が無くなっていて孫が相続する場合など、相続人が未成年である場合があります。未成年の子に代わって親権者が遺産分割協議に参加することになりますが、上記の相続人が痴呆症になっている場合の説明と同様に、親権者と未成年の子が利益相反関係になっていないか注意を要します。

□ 相続財産が多い

 単に相続財産が多いというだけでも争いになる可能性は高くなります。こんなにあるのなら自分もある程度もらっていいはずだと考えるのはおかしなことではありません。何年、何十年と真面目に働かなければ得られない金額であったり、一庶民の力では到底貯められないような金額であればなおさらです。

□ 相続財産のほとんどが不動産

 現金が資産の中では最も処分性の高いものですが、相続では逆に現金が少なく、不動産がほとんどである場合が多くあります。不動産は唯一無二の物でぞれぞれが個性を持つので、いくつも不動産があれば誰がどの不動産を相続するかでもめがちですし、唯一つしか不動産が無いという場合でも分筆したどの部分を相続するかでもめがちです。誰しも換金額・収益性が高いとか日当たりが良いとかの価値が高い部分が欲しいものです。

 故人所有の住宅に相続人が住んでいて他にも相続人がいる場合には注意が必要です。遺産分割協議が不調で住宅に住んでいた遺族が相続を機に家を出て換価しなければならなくなることがあるからです。二世帯住宅の場合も同様です。

 相続税の支払い対象となるほど相続財産が多い場合、相続税の支払い資金にも配慮が必要です。一気に手元の現金が納税で無くなって支障が出ることがあります。それでも現金で支払えるならまだ良いのですが、現金で支払えない場合は不動産の売却や物納などによることになります。特に、地主と呼ばれる規模の相続財産の不動産があると現金だけでは相続税の支払いが賄えないことがとても多いです。遺言書だけでなく事前の相続対策が重要です。なお、物納はどんな財産にでも認められるというわけではないので事前の確認が大切です。

□ 相続財産が国外にある

 被相続人及び相続人双方が国外に5年を超えて居住していない限り、国外にある財産も相続税の課税対象です。海外の財産はできれば生前に処分しておきたいところですが、為替レートの状況や様々な事情で処分せずにそのまま維持しておきたいこともあるでしょう。調査や手続きが非常に大変なので、生前にできうる限りの対策を講じておきましょう。

□ 相続人にとって相続財産が不明

 調査が大変になりがちです。故人の所有物や届く郵便物などに着目して探偵のような仕事をすることになります。受任した場合、最初は私が調査しますが手に負えない時は専門の業者に頼むこともあります。そこまでしても費用だけかかってほとんど何も見つからなかったということもありえます。

 このようなことにならないように、相続させたい者にだけでも生前に相続財産について知らせておくか、財産目録のようなものを作成しておくことをお勧めします。

□ 負債がある

 負債は法律用語で債務といいます。借金だけではなく、賠償債務などもあります。誰しも債務は相続したくないものですから、遺産分割の協議は慎重にならざるをえません。

 相続財産よりも負債のが多いならば相続放棄または限定承認をする場合が多いでしょう。相続放棄は債務も含めた全ての相続財産と相続人としての地位を放棄することです。限定承認は正の相続財産の限度においてのみ債務を弁済する留保付きで相続を承認することで、相続人は自分の財産を持ち出さずに済みます。限定承認は相続財産と負債のどちらが多いかすぐにはっきりしない場合などに用いられます。

 どちらの手続きも相続開始から3カ月以内にしなければなりません。相続放棄は単独できますが、限定承認は法定相続人全員でしなければなりませんので意思統一が必要です。

 負債もまとめて相続の単純承認をした場合、遺言書に負債に関する記述があってもその部分は負債の債権者(お金を貸している人)に対して拘束力を持たないため、債権者と法定相続人との間で交渉することになります。債務者(お金を借りている人)が遺言者であるか、それとも相続人に変わるのかは債権者にとっては重大な事柄です。債務者変更をそのまま認められないから追加の保証人や担保を差し入れるように注文が付くことがありますし、最悪の場合は債務を今すぐ全額返済するように言われるかもしれません。

遺言書でしかできない行為

 2つ目の条件にある、「遺言によってのみなしうる行為」には以下の8つがあります。これらの行為をなしたい時は遺言をしなければなりません。

 ・後見人及び後見監督人の指定

 ・相続分の指定、その指定の委託 (項目を改めて下で解説)

 ・遺産分割方法の指定、その指定の委託

 ・遺産分割の禁止 (項目を改めて下で解説)

 ・相続人相互の担保責任の指定

 ・遺贈 (項目を改めて下で解説)

 ・遺言執行者の指定、その指定の委託

 ・遺留分減殺方法の指定

 なお、遺言でも生前行為でもどちらによってでもなしうる行為として以下の4つがあります。これらの行為を遺言でなしたいと考えるならやはり遺言をしなければなりません。

 ・定款作成

 ・認知

 ・相続人の廃除

 ・相続人の廃除の取り消し

相続分の指定

 遺言者が法定相続分とは異なる相続分の指定をしたい時とは具体的にどんなものがあるのかいくつか代表的な例を挙げてみます。なお、法定相続分通りに遺産分割せよという内容の遺言も十分にする意味があることを付け加えておきます。

□ ある相続人に多めに、または少なめに相続させたい

 自分の生活を長く支えてくれたとか、看護・介護してくれたとか、先祖の墓や仏壇を今後守ってくれるとか、(遺言者からみての)孫の多い家庭は大変だろうとか、早くから家を出て親に頼らないで頑張っていたとか相続額に差をつけたい事情はいくらでもありふれています。

 公平に相続させたいと考える遺言者だからこそ、過去に教育、結婚、家の購入などで各相続人に渡ったお金や不動産などの財産を含めて勘案し、相続を機に調整しようということもあります。なお、他の相続人が知らない事情に基づいて調整する時は付言事項にて簡単に説明を一言添えておくと良いでしょう。

 障害を抱えた子がいる場合、将来その子の面倒をみてくれる信頼できる人や機関があれば、面倒をみるという負担条件を付けて遺贈をする(負担付遺贈という)ことができます。これとは別に遺言信託という制度もありますので、どのようにするのがよいのか専門家と相談して下さい。

□ 相続人の一人または一部へ遺産を集中して相続させたい

 遺言者が事業をしていたり、法人を経営している場合によくあります。残りの相続人の不満が出ないように配慮することも大切です。

 夫婦に子がいない場合、例えば夫の親も亡くなっていると、妻は夫の兄弟姉妹と相続することになります。しかし、長年連れ添った妻に全てを相続させたいということもあるでしょう。兄弟姉妹には遺留分(法律上認められている最低限の相続分)がありませんから、遺言書に妻に全て相続させる旨を記載すればその通り実現します。

□ 相続人の一人または一部にできるだけ相続させない

 相続人廃除ができる条件に該当するほど酷い行状でなくとも、この相続人にはできる限り相続させたくないということがあるかもしれません。人間ですから仲の良し悪しがあります。遺言で遺留分を侵害しないだけの最低限の相続にしておけば安心です。

遺産分割の禁止

 財産というものは持分割合に応じて各々の名義に分割されることがあるべき姿とされていますが、遺産を分割させたくない事情(実務でよくあるのは例えば、故人の妻に同居していた家にそのまま住まわせたいなど)がある時は、相続開始の時から5年を超えない期間を定めて分割することを禁ずることができます。

遺贈

 一般的に 「遺贈」という用語は法定相続人以外に遺産を贈る時に使用して、法定相続人に対して用いる「相続」という用語と使い分けます。

□ 法定相続人以外に遺贈させたい

 遺言者が親族に介護をしてもらう場合は多いのですが、介護はとても大変であるのに親族の義務で当然のことだったとして相続時には法律上あまり高く評価されていません。介護保険制度が導入されて対価が意識されるようになった現在においてもです。介護してくれている人が法定相続人ならまだしも、法定相続人で無い、例えば息子の嫁が介護してくれていた場合、遺言で相続できるように指定しておかないと介護の労力に報いることができません。

 婚姻相手に連れ子がいた場合、相手と婚姻しただけでは連れ子は法定相続人にはなっていません。連れ子を法定相続人にしたいならば養子縁組をする必要がありますが、養子縁組をしないまま遺贈したい場合は遺言をしておかなければなりません。

 内縁の妻(または内縁の夫)がいる場合、内縁関係者には相続権がありませんから遺産を残してあげたいならば遺言しておかなければなりません。

 愛人の存在の是非はここでは措いて(おいて)おいて、愛人に遺言である程度相続させることが可能です。女性の愛人との間にできた子がいて認知していれば、その子は法定相続人です。遺産分割協議への参加が漏れて後日遺産分割の効力が否定されないようにしましょう。遺言で認知することも可能です。

 法定相続人ではないけれども身の回りの面倒を見てくれた方、非常にお世話になった方へお返ししたいとか、寄付したい組織(例えば教育・研究機関や故郷の自治体など)や団体(例えば赤十字や国境無き医師団など)はありませんか?また、過去に迷惑をかけた方に遺贈してお詫びしたい、借りっぱなしになっていた物やお金を最後の機会に返しておきたいといったご要望がありませんか?

□ 相続人がいない

 相続人がいないと遺産は最終的に国庫に入ることになります。少々特殊ですが、国に全て遺贈することになるのを変更するのと同じと考えてここへ分類しました。上記の「法定相続人以外に遺贈させたい」の項目の最後の段落と同様の説明になります。

各解説ページについてのお断り

専門用語を多用しないように気を付けていますが、どうしても使う際にはできるだけ分かり易い説明を付け加えます。また、分かり易さを優先して婉曲表現や丁寧な言い回しを使用しないことが多々ありますのでお気を悪くなさらないで下さい。